吉野朝太平記(第2回直木賞 受賞)の書評

吉野の桜の美しさ

昭和10年下半期の第2回直木賞を受賞した吉野朝太平記(著者:鷲尾雨工)は、南北朝の時代に、南朝の武将『楠木正儀』が様々な策謀を巡らして、北朝を打倒しようとする歴史小説でです。そこで、この小説を読んだ事がない方のために、あまりネタをバラさないようにストーリーや見所などを紹介します。

『吉野朝太平記1』

www.akira-blog.com南北朝の戦いは果てしなく続いていき、南朝側は、楠木正成や新田義貞などの名将が次々に討ち取られていきました。しかし北朝側が優勢になった事によって、気が緩んでしまって、内部崩壊が近づいていたのです。

そのため、南朝側の楠木正成の三男である楠木正儀は、北朝が完全に仲間割れをした所を討とうと考えていました。しかし楠木正成の長男である楠木正行は1日も早く北朝と戦わなければいけない理由があったのです。楠木正儀は、その理由を知ってしまい、遂に兄者である楠木正行の思いを止める事ができず、再び南北朝で激しい戦いが行われようとします。

『吉野朝太平記2』

www.akira-blog.com北朝は、さらに優勢になっていき、高師直の専横は目に余るものがありました。その専横に、遂に我慢できなくなった足利直義や足利直冬たちは決起して、4万もの大軍で、高師直の軍を目がけて、押し寄せていきます。それに引き換え、高師直の軍は2万5千以下で劣勢は明らかでした。果たして猛将とうたわれた高師直は、足利直義の連合軍を撃破する事ができるのでしょうか?

『吉野朝太平記3』

www.akira-blog.com足利直義と高師直の戦いに決着が付いて、北朝側はこれで争いが収束するかのように見えました。しかし北朝を打倒するために虎視眈々と狙っていた楠木正儀は、離間の策を講じて、足利尊氏と足利直義の兄弟仲を裂く事に成功します。

そして足利尊氏が、遂に足利直義を討伐するために出兵していき、京都の守りは手薄になったのです。これを好機到来と見た楠木正儀は、疾風怒濤の勢いで、京都に迫ります。はたして、楠木正儀は念願の京都奪回を果たす事ができるのでしょうか?

『吉野朝太平記4』

www.akira-blog.com楠木正儀は戦いを優勢に進めていましたが、東西から、足利義詮と赤松則祐に挟み撃ちにあってしまいます。これに楠木正儀は断腸の思いで、吉野へ撤退する事にします。しかし北朝側は、このまま逃す訳にはいかないと思って、執拗に追撃してきたのです。それでも楠木正儀は、たくみな誘導作戦を展開して、足利義詮の注意を引きつけている間に、三種の神器を持ち出していったのです。

坂東で、この報告を聞いた足利尊氏はあまりの衝撃に、容態を悪化してしまうのです。ますます南北朝の争いが激化されるなかで、天下はどうなってしまうのでしょうか?

『吉野朝太平記5』

www.akira-blog.com南朝は劣勢に陥ってしまいましたが、北朝の佐々木道誉と山名時氏が、論功行賞で険悪な関係に陥ってしまいます。南朝の楠木正儀は、忍びを使って、その関係を察知します。そして楠木正儀は、山名時氏を南朝に引き込む事に成功します。

そして南朝は再び京都へ進撃して、京都を奪還するのです。しかし足利尊氏はこれを見逃す訳がなく、坂東から出兵して8万もの大軍で吉野へ攻め込んできたのです。楠木正儀は、足利尊氏の動きを事前に予測して、東条の城の守りをかためていました。はたして南北朝は、どのような決着を見るのでしょうか?

『吉野朝太平記(第2回直木賞 受賞)』の見所

京都御所の荘厳さ

第2回直木賞に受賞したのは、吉野朝太平記の1〜2巻になります。しかし、それは直木賞を受賞した後に3〜5巻が発売されただけの事なので、3〜5巻も書評を掲載しました。実際に、吉野朝太平記の見所は、あまり有名でもない楠木正儀にスポットを当てた所でしょう。

いかんともしがたい南朝の劣勢を何とか跳ね返そうとする楠木正儀の奮闘には、惹きつけられるものがありました。ただし残念な所は、終わりのほうが省略されている所です。南北朝が1つに合体した所をもう少し細かく書かれていれば、言う事がないほどの歴史小説でした。