杉原千畝の書評!紙切れに苦悩する外交官

ヨーロッパの街の画像

この本は、日本政府に逆らってでも、ユダヤ難民を救ったと言われる杉原千畝について書かれていました。あまりにも有名な話なので、多くのストーリーを紹介するのでネタバレとなる所もあるので、読まれる方はその辺りをご理解下さい。

「杉原千畝」のストーリー

ソ連の赤の広場

日本の外交官だった杉原千畝は若い頃、満州国で多くの仲間を関東軍によって亡くしてしまうという屈辱を味わいました。

関東軍の横暴(序)

戦争をしたがる関東軍にとって、戦争をしないように済ませたい杉原千畝が目障りだったのかもしれません。その後、杉原千畝は関東軍と決別をするために満州国を離れて日本へ帰国する事になります。そして以前から赴任したいと思っていたモスクワへ赴任したいと願ったのですが、ソ連は入国を拒否してビィザの発給を拒否したのです。杉原千畝はリトアニアに赴任をする事になりました。杉原千畝はビィザという1枚の紙切れで苦悩する事になるのです。

ドイツのソ連侵攻(破)

杉原千畝はリトアニアへ赴任をして、ドイツの情報を集めていました。なぜなら日本はドイツと同盟を結ぼうとして破滅の道を突き進んでいたからです。しかし、当時の日本はドイツ・イタリア・ソ連と同盟を結ぶ事が、日本が救われる道だと思っている者が多くいました。そこで杉原千畝はドイツがソ連に侵攻しようとしている証拠を数多く集めましたが、日本はドイツと同盟を結び、ドイツは日本に無断でソ連へ侵攻を開始していきました。

杉原千畝の決断(急)

杉原千畝が滞在していたリトアニアはソ連が併合する事になり、リトアニアにある日本領事館は閉鎖される事になります。その時に大勢のユダヤ難民がヒトラーが率いるドイツの迫害から逃れようと、日本領事館に集まるようになっていきました。杉原千畝は、日本政府から許可が降りないうちにビィザを発給する事を決断して、ここに大勢のユダヤ難民を救う事になるのです。この決断は外交官として命がけでしたが、ユダヤ難民を助けるために妻と一緒にビザの発給作業にとりかかりました。

「杉原千畝」の感想

杉原千畝は、若い頃に憧れのソ連で、ヴィザが発給されなくて、苦い経験をしてしまいます。その苦難の人生の中で、杉原千畝は外交官として成長していきますが、ナチスドイツがユダヤ人を迫害しようとした時に、祖国の同盟国の行いであっても、人道上の観点から、ユダヤ人たちに無条件でヴィザを発給しようとするのです。

そのような事を考えたら、杉原千畝はヴィザという紙切れに翻弄しながらも、そのヴィザに命をかけた外交官と言えるでしょう。